〔大学三年の時の話〕 大学は天白区の名城大学だった。 一応、法学部に籍を置いていた。 自慢ではないが4年間 先生が出欠をとった 英語と独語と体育 以外の講義は ほとんど受けた記憶がない。 試験の日に参加していれば 何とか なった。 いい 大学だった。 「名城大学は 日本一の大学だ。」 と 豪語している 名物 老教授がいたが 僕も その通りだ と 思った。 下宿している友人の部屋で テツマン〔徹夜麻雀〕 を よくやった。 夜が明ける頃 精算してみると 150円勝ったとか200円負けたという かわいい勝負だった。 同じサークルの仲間にH君がいた。 三重県と奈良県の県境の村 出身。 東京で二年間の浪人生活の経験があり 新入生といっても 僕と同い年だった。 長髪、Tシャツ、ヤッケ、運動靴、 1970年の 全共闘運動スタイル 〔運動部の名前ではない。〕 が よく 似合っていた。 H君は 「二十歳の原点」を愛読し 高野悦子に 憧れていた。 H君の主食は インスタント ラーメンだった。 下宿の部屋に入ると いつも 出前一丁の匂いがこもっていた。 ![]() さて ある日 H君の部屋で スキヤキをすることになった。 メンバーはサークル仲間四人。 四人でお金を出し合い 肉、ネギ、白菜、糸コンニャク もちろん 日本酒も買い込み いざ スキヤキ 開始。 ジュワッーッ〔肉を焼く音〕 箸を持つ H君が 講釈をいれる。 「まず、肉を焼く。そして 砂糖だ。」 「あとから しょうゆを いれるのだ。」 その時 彼には とても言い返せないような 鬼気迫る雰囲気を持っていたので みんな黙って料理をするのを見ていた。 「うーん。肉、食うのは久しぶりだ。」 と H君。 箸を動かす手にも気合いが入る。 グツ、グツ、グツ 鍋の中で肉と野菜が煮えている。 食べていい というH君の許可が出るまで 我々文芸部の同志四人は 文士らしく 酒を飲み交わすのであった。 四畳半の狭い部屋に置かれた櫓炬燵を囲んで 僕等は スキヤキを食べる前から 盛り上がっていた。 「よし、いいぞ。食べて よし。」 すっかり この場のヘゲモニーを握ってしまった H君は まっさきに 大きな肉を食べ始めた。 「さあ、食うぞ。」 と 次に手を伸ばしたのは 詩人志望のM君だった。 「うーん、うまい。・・・ が、しかし、待てよ。・・・・ この味は、一体、・・・なんだ?」 いつも思慮深い詩人のM君はそう言うと 唸り 考え込んでしまった。 眼はうつろ 視線は地平の果ての 虚空だ。 彼は考え込むといつもそうだった。 一つ、言葉を抽出するのに異常に時間がかかる。 彼の作った 現代詩は難解だった。 ま、考えさせておけ と思い 僕も食べ始めた。 僕は 肉より野菜の方が好きなので 白菜を食べた。 なにか僕もちょっと ひっかかる味を感じた。 僕も何だろうと首をひねってしまった。 H君は相変わらず 「肉だ。肉だ。」 と まったく関せず食べている。 突然 詩人のM君は瞑想から醒めて くん くんと 鍋の匂いを嗅ぎ始めた. そして 言った。 「やっぱり このスキヤキはラーメンの味がする。」 皆、食べる箸を停めて 匂いを嗅いでいた。 「僕も、ラーメンの 匂いがすると思う。」 ドストエフスキーに心酔していた 一年生のK君も同意した。 H君の鍋は彼が浪人時代.から 使っている由緒ある歴史的な鍋であった。 彼の主食であるインスタントラーメンは この鍋で 一体 何杯 煮込まれたのだろう。 1000杯は超えているらしい。 我等 四人の同志は ラーメンの味と匂いがしっかり しみついてしまった 鍋に対して 畏れと 慄きを 覚えたのであった。 |
![]() 次頁へ |